07 「邂逅」
さて場所は変わって、とある森の中。国の北西側に位置するその森は他と比べて湿っぽく、何より目立つのが倒木で、倒れたそれを鮮やかな苔が覆い一風変わった美しい景色を作り上げていた。耳を澄ませてみても鳥や虫の鳴き声と風が木々を撫でる優しい音しか聞こえない。奥に進めば小さな集落があるものの、穏やかで静かな、美しい森。…普段なら、そうであるのだが。
今日はどうやら少々騒がしい。自然の緑に混じる人工の白色、硬い話し声、落ちた枝を踏む軽い音、そして鈍く光る刃。
森の中の、少し開けた場所に即席で作られた小さめのテント。その奥に置かれた旗に描かれているのは剣と十字、そしてニンブズが美しく重なる紋章。
それは一般的に「騎士団」と呼ばれる、国家機関の象徴であった。
白い翼に白い衣を翻し、陛下の名のもと忠義を果たし正義を貫く、国の守護者。彼らは国の治安維持を主な任務とし、様々な分野で最高機関としての機能を果たしている。
さて、騎士団の数々の任務の中で、現在最も重要とされているのが、「怪物の討伐」であった。といっても、勿論手当り次第に行っているわけではない。騎士団の討伐対象とされるのは、「発狂の可能性が極めて高い」怪物のみである。なぜなら発狂した怪物は理性が蒸発し狂乱、錯乱状態に陥ってしまうからであり、そうなった怪物は多大な被害を出してしまうのが定石だからだ。
最悪の事態が起きる前に、原因は摘んでおくべきである──最大多数の、最大幸福のために。まさしく「国の心臓」と言える騎士団は、常にその考え方の元に動いている。
「到着次第展開、各部隊は隊長の指示にしたがって配置へ」
「前線は上げすぎないように戦況を各自よく見るように」
「…西側センサーに微弱ですが反応ありました、如何しますか兵使長」
呼び声に反応するように、長い藤色が揺れた。
「…予定変更だな。少し早いが全員展開の準備を。あとの指示は司令塔に」
「了解しました」
足音と共に去っていく部下を見送り、兵使長と呼ばれた彼はがしがしと髪を乱した。拍子にその長い髪を括った赤いリボンが揺れ、彼を一瞬……無論、本当に一瞬だけであるが、少女のように見せる。髪色よりも赤みが強い、マゼンタの瞳を細めて腰元の得物をそっと確かめては、ため息をひとつ。
「兵使長、如何致しました?」
「あー……いや、なんでもない」
先程とは別の部下、この任務で司令塔を務める団員が、彼……ガブリエルに話しかけた。ガブリエルはちらりと部下を一瞥し、再び腕を組む。部下は微かに首を傾け、そして少しだけ笑った。
「……今回は急な任務だと聞きましたが、思ったよりも早く帰還出来そうで良かったですね」
「俺はな。…君は違うだろ?駐屯期間はいつまでなんだ?」
「あと一月と少しです。半年の予定ですから」
「そうか……まだ長いな」
「いえ、気付いたらあと一月か…という感じです。本部にいるのとはまた違う忙しさがありますしね」
それに、ちょうど駐屯期間が終わる頃、子供が生まれる予定なんです。そう嬉しそうに語った年上の部下に、それは楽しみだなぁと返して、ガブリエルは少し笑った。
▼
「緊急、緊急!自走装置起動確認!出入口付近にいる人はすぐ中に入って!」
「中にいる人達は転ばないように、落ち着いて、何かに掴まるように!体勢は出来るだけ低く!」
高いサイレンと共に、城内が一気に騒がしくなる。四方から聞こえる足音と、何やら叫ぶ声、呼ぶ声、そしてキルヒエルが小さな機械に向かって指示を出していた。同時に室内にあるスピーカーから同じ声がハウリング混じりに流れ、これが城内に一斉に流されている放送であることを察する。エマニュエルは更に部屋奥の小さな扉の奥に入ったきり、未だに出てこない。けれどキルヒエルの放送の合間に彼女の声も聞こえたため、彼女は彼女でまた別の作業をしているのだろう。
傍らで手を握ったままのラプンツェルも、真剣な表情で放送に耳を傾けていた。
「緊急自走装置…たぶん近くで変な神力反応があったんだと思うけど……大丈夫、きっとすぐに安定するよ」
ラプンツェルの言葉とどちらが早かったか、先程の激しい揺れは段々と収まりはじめ、次第に規則的な横揺れへと変わっていった。まるで大きな動物の上に乗り、大地を闊歩しているような……もとい、そんな経験はもちろん無いのだが。そもそもどうして建物が動くのか、そういえばここが何のための場所なのかは聞いたが、この建物自体が一体どうなっているのかは聞いていない。ぐるりと部屋を見回してみると、まだ天井のランプや壁のタペストリーは先程の余韻で揺れていたが、それ以外に、例えば食器や本棚、倒れやすそうな机の上の人形や花瓶などは一切倒れてもいないし壊れてもいないように見える。
倒れないように、元から細工がしてあったような。この建物……八龍城が、こうやって動くことを想定してあったような……中身が零れて軽くなったティーカップを手にしたまま、アプフェルはふとそんなことを考えた。
その時、突然部屋の扉が開かれた。ノックもなく、焦ったように勢いよく開かれた扉をくぐって部屋に飛び込んできた人物は、部屋の中をぐるりと見回すなり、切羽詰まったように叫んだ。
「アモエルって子は、ここにいる!?」
アプフェルは目を見開く。ラプンツェルも、丸い目を更に丸くしてぱちぱちと瞬いていた。息せき切って現れたその人は、まさしく先程ここに運び込んだ赤髪の青年だった。
▼
「違う、これは……」
「反応が弱い、いや、遠い…、のか…?」
「遠い?そんな訳ないだろ?だって今、すぐ前方で接敵中で……」
「兵使長!!」
血相を変えてテント内に飛び込んできた部下の姿に、ガブリエルも思わず目を見開いた。ガブリエル自身、外が……前線が、少しざわついていることに気付いていたが、自分が出るほどのことではないだろうと思っていた。何せ今回の任務はあくまで発信機運用の視察で、ガブリエルは最初から前線配置に組み込まれていない。前線より後方、微弱な結界の張られた現地の司令本部のテントで、膨大な量の報告書に目を通しながら地図上でピンを動かしたり取り去ったり、所謂裏方作業をしていた彼にとって、全く予定外の事態であった。
「どうした、何があった?」
「詳しい状況は確認中なのですが、恐らく現在我々が接敵している怪物は、発信機を取り付けた怪物ではないようなんです」
「は?でもセンサーには反応があったはずだ」
「そうなんですが、報告とは違う形態の怪物で、」
部下の報告を聞きながら、持っていた書類を机に置き、傍らの端末を覗き込む。現在地周辺の地図には、ここより少し先に点滅する赤い光があった。これは確かに数週間前、この区域で発見され、「発狂の危険が極めて高い」と報告に上がった怪物に取り付けた発信機の信号で間違いない。つまり今前線の部隊が対峙しているのは、間違いなく件の怪物であるはずなのだ。
「形態が違う?」
「はい。報告では"複数の足と触手を持った、外見は黒く光り湿り気がある"怪物だとありますが、全く違うのです。黒く湿り気がある、というよりは寧ろ……その、乾燥していて、樹木を思わせるような…ッ!?」
がくんと、突然下から突き上げるような衝撃。部下が姿勢を低くしながらも、ガブリエルを守るように前に出た。前線のざわめきが大きくなり、数名の団員がこちらに向かって飛んで来るのが見える。
「付近に民家が数軒!至急避難要請を!」
「了解しました!」
「対象が接近中!前線下げます!」
伝令と通信、怒号が飛び交う中で、ガブリエルは自分の得物に手を掛けながら混乱の中心へ躍り出た。それを視認した部下達が一斉に体勢を低くし、すぐにでも剣を抜けるような戦闘体勢をとる。球体のような機材に乗った非戦闘員達が、前線を下げるため、迎撃のサポートのために後ろへと下がっていった。実に想定外、まさか自分まで出ることになるとは予想もしていなかった。とはいえ幸いガブリエル以外の、想定上の司令塔は機能しているし、カバーに回る程度で済むだろう…と、思っていたの、だが。
「待避!待避!対象、正面から来ます!」
「司令本部正面に防護壁を!」
海を割るように白い衣達が左右に飛び退き、鬱蒼と茂った正面の木々を薙ぎ倒すようにして、それは姿を現した。手足のように見える部分を鞭の如く大きくしならせ、地面に叩きつけられた場所に土煙が舞い上がる。そのまま薙ぎ払うように再び、今度は水平にしなったそれが、幾人かの白服を巻き込んで大きく旋回した。
その手足のようで触手のようなそれは、勢いを殺すことなく司令本部に向かって叩きつけられる。防護壁への衝撃で火花が散り、結界の上辺の一部が剥がれ崩れたものの、中へのダメージはほぼなかったのが幸いだった。一瞬怯んだようにそれは身を後ろに引いたが、すぐに体勢を戻し、その場で体をゆらゆらと揺らした。ガブリエルは抜いた剣を構えたまま、部下に後ろへ下がるように短く指示を出す。
不意に、誰かがぽつりと呟いた。
「まさか、食われたのか……?」
修復されていく防護壁の中、ガブリエルは"それ"をただただ見つめていた。湿り気があるというよりは寧ろ乾燥していて、樹木を思わせるような、それ。けれど中心部は異様に丸く膨らみ、温かな肉体のようにも見える何か。風に煽られて揺れる、ピンク色のリボン。柔草のような蒼色のざわめきと、手足のような触手の揺らめき。泥に塗れた布切れを身に纏い、ひょこ、と、まるで幼い少女を思わせるような軽い動作で体を揺らす、悍ましいいきもの。
対象の異常接近を警告する、けたたましく鳴り響く発信機の音が、どこか遠くに聞こえた。
0コメント