04 「きになるこ」
「キールぅ!あのねっ、お庭にまいておいた種がねっ、芽ぇ出したよっ」
扉の向こうから近付いてきた軽い足音の主は、小さな少女だった。小柄なエマニュエルよりもうんと小さく、年齢も二桁に乗っていないくらいの、本当に小さな子供。柔らかそうな蒼色の髪を揺らし、手には体躯に比べて些か大きな籠を抱えた少女が、にこにこと満面の笑みで部屋に飛び込んで来た。片手で籠を抱えたままキルヒエルの元に走り寄ると、そのままぽすっと抱きつく。
「あとね、こんなにたくさんお野菜がとれたんだー!今日はお野菜スープがたくさん作れるよ!」
花が綻ぶような笑顔に、キルヒエルが優しい手付きでその頭を撫でた。うりうりと額を擦り付ける動作は、まるで母猫に甘える子猫のようだ、と、アプフェルはぼんやりと思う。手にした籠の中には言葉通り色とりどりな野菜が見えていて、まだうっすらと土の香りを残したそれらは、アプフェルの興味を惹きつけるには十分であった。じっと見つめるアプフェルの視線に気がついたのか、少女が不意にくるりと振り向く。同時に、かつん、と小気味よい音がした。
「ね、キール、あの子だぁれ?」
「あ、……えっと、そうね、アモは最近来たばかりだから知らないんだっけ……あの子はアプフェル、私達の仲間よ」
キルヒエルの青い衣を控えめに掴みながら、少女がそっとアプフェルを指さす。しかしその指には、ラプンツェルのやわさやキルヒエルのなめらかさは無く、かと言って決してエマニュエルのように隠されているわけでもなかった。例えるならば、先程まで自分とラプンツェルが走り抜けていた森の中で見たような……。
かつん、と再び音がした。少女がキルヒエルの元を離れ、てこてことアプフェルの傍に歩いて来たのだ。それと共に音も近付いてくる。そうしてようやくアプフェルは気付いたのだ。少女の足が、その指、……否、腕と同じく無機質で出来ていることに。樹木だ。外の柔らかい森の香りを思わせながらも、生身より遥かに堅い素材で形作られているだろうそれ。硬質なそれが床を叩く度、乾いた反響音が響く。反するように少女が浮かべる笑みは温かで柔らかく、アプフェルはその釣り合わなさに徐に首を傾けた。
「ね、ね、おねーちゃん。アモはね、アモエルって言うんだよ〜!よろしくおねがいしますっ」
「アモ…アモエル、ちゃん?わたしはアプフェルです、えっと、こちらこそ…およろしくお願いします」
「…えへへ、おねーちゃん、それアモとおそろいだね!」
「それ?」
「うん!」
にこにこと音が聞こえてきそうな無邪気な笑みで、アモエルと名乗った少女はぺこりと頭を下げると、軽い足取りでアプフェルの後ろに回り込んだ。アプフェルはそれ、とアモエルが指したものを見ようとして首を背中側に捻る。視界の隅で、ラプンツェルがあっ、という何とも言えない表情を浮かべたような気がした。
「ほらっ」
うねる茶色、けぶる青葉に赤い実ひとつ。身じろぐ度にゆさゆさと揺れるもの。そういえば目を覚ました森の中で感じた強烈な違和感。その正体をアプフェルはまだ目にしていなかった。そうだ、あの時、アプフェルが自らの手に感じた違和感に首を捻った時も、ラプンツェルは今と同じような顔をしていたはずだ。
そこにあるのは木であった。背中の真ん中から、左右に裂けるように枝を伸ばして生える、小ぶりな木。枝はうねうねと湾曲しながらも瑞々しい緑の葉をめいっぱい携え、アプフェルから見て左側にだけ、葉に埋もれるように真っ赤に熟れた果実がひとつ、顔を覗かせていた。これには見覚えがある。これは、林檎の果実だ。林檎の木が、自らの体から生えているのだ。
「……木」
しかしながら、アプフェルは思ったよりも自分が混乱していないことにも気付いた。混乱よりも微かに感じるのは懐かしさで、きっとこれも昔、記憶を無くす前に、ラプンツェルとの思い出があったのだろう、とアプフェルはぼんやり思う。そして徐に、両の手のパペット人形を見詰めてみた。すっぽり手を包み隠すそれの、右手の方を左手でそっと抜き取る。長袖のブラウスから覗いたものは、やはりと言うべきかまさかと言うべきかアプフェル本人にも分からなかったけれど、先程自らの背中に見たものと極めて酷似した、うねる枝葉であった。
「でも、アモのは直接体から生えてるわけじゃないけどね」
キルヒエルがぽつりと呟く。その言葉にアモエルはこくこくと頷いた。アモのはエマが作ってくれたんだもん!と、嬉しそうににっこりと笑う。
「とれちゃった時は、すごく怖かったけど、でも、エマがすてきなのを作ってくれたから……アモ、今でもたくさん走って遊べるの、嬉しいよ!」
「嬉しいのはいいけれど……また収穫の途中で泥遊びしたでしょう?するのは構わないけど、洋服が汚れるから別の服に着替えてからって何度も…それに杖はどうしたの?」
「あっ!えーと、それはねっ……うぅ……ご、ごめんなさい、」
キルヒエルの指摘が図星だったのか、アモエルはしょぼしょぼと視線を落としながらワンピースの裾をきゅっと掴んだ。確かに彼女のワンピースに目をやると、ところどころ黒く泥で汚れていた。土汚れと言われれば納得出来る。アプフェルが来た時には気付かなかったが、、どうやらこの近くには畑もあるらしい。来る時に入った医務室をはじめ、図書館、シャワールーム、そして人は疎らではあったが通路に所狭しと並ぶカラフルな商店。まるでここは大きな家でありながら、小さな町のようであった。考えば考えるほど、ますます不思議で複雑な構成をしている。そのせいなのか、ラプンツェル自身に見覚えがあっても、残念ながら場所には全く見覚えがない。キルヒエルや、エマニュエルにも、だ。
「早く服着替えて、シャワー浴びておいで。そのままじゃ泥が固まって部屋も泥だらけになっちゃうから。杖は私が取りに行くわ」
「はぁい」
「いい?寄り道しないで、真っ直ぐシャワールームに行くんだからね?」
「わかってるよぉ!」
先程のしょぼくれた顔はどこに行ったのか、けろりとした表情でアモエルが元気に頷いた。来た時と同じように、かつんかつんと軽い音を立てて部屋を出ていくアモエルを見送って、キルヒエルがはぁ、と溜息を吐いていたけれど、その表情は反して柔らかい。
──自分に向けられる表情より、よほど。
アプフェルはずっと、軋んだような違和感を感じていた。キルヒエルの態度は、ラプンツェルやエマニュエルの態度と比べて些かよそよそしく、そして何より戸惑いが色濃い。それは勿論彼女のパーソナリティーの問題もあるのだろうけれど、と、アプフェルはキルヒエルをこっそりと見やった。彼女の横顔は至って涼やかで、けれどその鼻筋から口元のラインにはどこかあどけなさも残している。落ち着いた語り口からなんとなく年上とばかり思っていたが、もしかすると違うのかもしれない。
不意に、サファイアの揃いの瞳がこちらを向いた。
「……アプフェル」
「なぁに?」
「…ね、ちょっと…四人で、お話、しましょう?」
「……うん」
眠たげなルビーと暖かなエメラルド、それから静かなサファイア。
六つの宝石の中に映っていたのは、何も知らないアメジスト。
「……おはじめまして、わたしのおともだち」
かくして、不思議だらけの宝石箱が開けられた。
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